「気ままな逸脱者としての画家」


 われわれの世界には、目に見えないさまざまなルールやマナーがあり、多くの人間は、自分たちの集団内の暗黙の規則にのっとって日々生活を営んでいる。自由というものも現実にはそうした範囲内で許容され成立するもので、それを逸脱する行為には反社会的といったレッテルを貼られてしまう。
私自身も、たとえば美術批評というものをもっと自由気ままにできたらと時々思うことがある。心の赴くままに思いのたけを書き連ねたり、歯に衣着せぬ言葉で好悪を論じる、戦前の美術雑誌に出てくるような文章を書いてみたいと夢想する。しかし実際には、そんなことは自分にはできないだろうという諦めもある。現代美術批評の定型のようなものが意識にあるからである。第一、もしそれができるなら、自分は今のような仕事ではなく作家とか芸術家とか、とにかく表現者になりたいと思ったであろう。だからこそ芸術家に憧れ、芸術に興味を持つ今の自分がいるのだと、結局この話は堂々巡りに終わってしまうのである。
しかし、芸術といえども真の自由が保証されているわけでも称賛されるわけでもない。コンセプトや戦術や流行や金銭的事情など、さまざまな打算と制約の上に作品は生まれ、しっかりと歴史的文脈の中に位置づけられながら評価される。だから、実際には芸術家も不自由なのである。
しかし、小橋陽介という画家に対しては、私はある種の羨望と憧憬の念を抱く。つまり、かなりの程度の自由の体現者としてである。自分よりもうんと若い人物に対して抱くこの感情を自ら認めてしまうのは悔しいが、今回、あらためて彼の気紛れで無軌道で、それでいて素直でひた向きな制作態度を目にしたことで、その予感は確信に近いものへと変わっていった。今回というのは、去る二〇一四年九月十五日をもって閉幕した展覧会「ノスタルジー&ファンタジー 現代美術の想像力とその源泉」(国立国際美術館)を企画したことで、 小橋は出品作家の一人であった。
展覧会の企画意図についてはここでは割愛するが、小橋の作品の持つある一面がノスタルジックに見えたことが、本展に彼を選んだ直接の理由である。カタログでは、それを「画家として具わった原初的な創作意欲」と書いたが、要は彼の絵を見た多くの者が、自分ももう一度童心に帰って絵筆を取ってみたいと思うような、そんな人と絵との蜜月時代を想起させる要素を持っている点を指してのことであった。
振り返ると、私が小橋陽介の絵を初めてみたのは、七、八年前の大阪ギャラリーDenでの個展時であった。当時、会場で会った本人から自分自身をモデルに絵を描いているといった話を聞いた記憶がある。実際には、その時点で小橋は既に水戸芸術館現代美術ギャラリーが開催する若手芸術家「クリテリオム」(二〇〇六年)に選ばれ、上野の森美術館の「VOCA展2OO6現代美術 の展望ー新しい平面の作家たち」(二〇〇六年)にも選出されていたことは後で知った。
その後は一、二年置きに個展やグループ展をどこかで見るといった機会があったが、近年になって、小橋は絵画を空間的なインスタレーションとして配置し、見る者をその中へと迷い込ませるような展示をするようになってきた。 特に二〇一三年、東京のギャラリーMoMo Ryogoku(図1)での個展は印象に残るものであった。そこでは、絵画は壁面に行儀よく並べられるのではなく、宙吊りにされたり、壁にもたれさせたり、斜めに傾けたり、部屋の隅に目立たないよう配置されたりしていた。そのような変化を面白いと思ったのも、彼を出品作家に選んだ理由であった。
けれども、そもそも小橋の作品のどこに人は惹かれるのだろうと考える。たとえば、彼の絵では色とりどりの色彩で覆われた画面の中で裸の男性が躍動している。空と大地、人と自然とが運然一体となった無重力状態のような浮遊感が漂う。初めて見るのにどこか懐かしい、目新しさと親しみやすさを同時に感じる。このような既視感の出所はどこなのだろう。イメージなのか色使いなのか、あるいは油絵具のマチエールなのだろうか。
 それでいて小橋の絵は決して奇を衒ったものではない。おそらく、彼自身は 自分の作品の見え方を意識して絵を描いているわけではない。それを裏付けるのは、彼が長らくもっばら自画像を描き続けてきたという事実である。なぜなら、自画像を描くという行為は極めて内省的な側面を持っている。外に向けて形象化していくのが創作という行為でありながら、自画像はひたすら自己言及という、ちょうど閉じた円環の中を走り続けるハツカネズミのように、外部と繋がる視線の介入を排除した白閉的行為の所産だからである。
 作品を見てみよう。



 一二〇号のカンバスを三枚横に繋げた大作《self-portrait48》(図2)では、 裸の男性が十数人、ひしめき合うように描かれている。肌は一様に青白く、あるいは土気色をしており、その不健康そうな身体に合わせるかのように表情 も乏しく、こちらに向かってばんやりとした視線を投げかけている。周囲は野原と林と青い空で覆われているが、人体と同系色であることから瞬時には見分けがつかない。というよりも、この絵では物同士の前後関係が逆転したり遠 近法にも整合性がない。特に画面中央で折り重なるように横たわっている数人の男性は、おそらく地面に横一列に寝そべっている状態なのだろうが、一見すると、ピラミッドのように積み重なっているように見える。しかし、本来平 面上に描かれた位置関係からすると、確かに上下に積み重なっているわけで、 それで間違いでもないように思えてくる。
ここから、小橋の絵画の持つ独特な平面性というものが見えてくる。奇しくも裸体群像を多く描いたセザンヌが想起されるが、小橋もまた平面の分割やレイヤー化に独自の手法を発揮する。
その典型といえるのが《self-portrait148》(図3)である。跳び箱を跳躍する男性を真正面から捉えた場面自体が、既に短縮遠近法的な構図となっているが、背景といい跳び箱といい、すべてが平面的に処理されていたり、あるいは装飾的な印象を受ける。この二点の作品には、初期の小橋の絵の特徴がよく表れている。油絵特有のタッチとマチエール。絵画的な描法とパターン化され た装飾性とが共存する画面。そして平面的な空間構成と画面の処理などである。



こうした雑多な要素の共存は、確かに小橋の絵をまとまりを欠いた緊張感の乏しいものにしている一因ではあるが、決してもたついた感じではなく、どこか小気味よい印象を与えている。それは彼の絵の持つテンポ、つまりリズム感のようなものである。そして、そのテンポを作り出しているのが、彼の絵に見られる反復という要素ではないだろうか。
この反復という意味は、なにも一枚の絵の中に同じパターンや形象が繰り返し登場するという意味だけではない。そもそも、自画像をひたすら描き続けてきた小橋自身の制作態度を指してもいるのである。今回の「ノスタルジー& ファンタジー」展では、その真骨頂ともいえる作品が出品された。一〇〇枚の壺の絵をひな壇に並べた《100ツボ》(図4)である。



壺の絵と聞くと、これまたセザンヌやモランディの静物画を連想するが、小橋の絵はそもそも発想からして異なっており、要は一枚のパネルに一個ずつ壺だけを描くというシンプルなものである。ただし、それらはおおよそ実在す る壺とはかけ離れた様相をしていて、壺といわれなければそうは見えない物 も多くある。そもそも、これらは小橋が壺という言葉から連想されるイメージ を、数珠つなぎのように次々と飛躍させていった、ほとんど無意識のレベルで描れた絵ではないだろうか。壺というお題を自らに課すことによって、好きなだけ筆を走らせたい。そんな衝動に突き動かされているようだ。小橋の反復は、そうした無意識の行為に繋がっている。主題とか意味といった無駄なことを考えずひたすら描き続けたいという彼の本能、すなわち「原初的な創作意欲」なのである。
この《100ツボ》の展示のために小橋が用意したのが巨大なひな壇であった。先にも書いた通り、小橋は近年、絵画作品をこうしたインスタレーション として見せる方法を採用している。すなわち、作品は一点一点の絵画であると 同時に、それらが配置された空間全体として成り立っていることにもなる(図 5)。



こうした試みは、一見、個々の絵画の存在を希薄にしているように見えなくもないが、見る側に立つわれわれが空間の中を自由に歩き回ることで視点は変化し、それによって個々の絵画は周囲の空間や他の作品との関係性の中か ら、より強固で効果的に見えるように仕立て上げられている。今回の展示は、 こうした小橋のインスタレーションがこれまでにないスケールで展開されている点で、彼の空間概念の全貌を理解する絶好の機会となった。小橋は絵画と戯れ、まるで絵画の中に自己を埋没させていくように絵画の王国を築き、自らその住人になることを切望するのである。
絵筆を愛し、支持体を愛しているなどというと、創作に対する過剰なセンチメンタリズムと受け取られるかもしれないが、おそらく本人はそういう感情すら意識してはいないだろう。それは、ある時期から自画像に代わり、ひたす ら犬や馬の絵を描き出したり、躊躇うことなくテーマやスタイルを変えていくさまを見ていても、その無邪気ともとれる心境の移り変わりは、好奇心旺盛な作家の本性と理解できるからである。
 それにしても、小橋はなぜそこまで絵画という存在に自身を委ねてしまうことができるのか。それは彼の絵画に対する信頼感といえるのかもしれない。カンバスは彼にとつては与件として無条件に存在し、それに対峙することは、ちょうど鏡の前に立つようなごく日常的な習慣であるにちがいない。また、彼には画面である矩形の支持体に対する偏愛が感じられる。絵具によってその矩形を覆い尽くしていくことに無上の充足を感じている。
 こうした、画家としての本能こそが、見る者が彼の絵画にある懐かしさを覚える理由なのかもしれない。絵画自体が持つノスタルジーといえばいいのか、現代絵画がともすれば教条的な美術批評によって解釈され、画家の方もそれに引きずられるように絵筆を動かしていくような、そういった計算は一切なく、描きたいものを描きたいように描き、ひたすら繰り返し描き、好きなように展示する。
 小橋に対する私の義望と憧憬は、そんな彼の生き様といってもいいような制作態度に向けられている。それは肉体的、生理的な態度であるだけに言語化するのは難しい。あるいは即興と言い換えてもいいのかもしれない。しかし、美術とは本来、非言語的なものであることを思い返してみよう。意味やコンテクストを読み解くのではなく、感覚に身を委ねるような身体的な艦賞態度こそ小橋の作品にふさわしい。
現代美術の中でもこうした作品は意外と少ない。なぜなら、モダニズムが終息した今日にあっても、人々は作品にコンセプトを求め、理解したいと欲するからである。いや、むしろそうした欲求は、今や強迫観念といえるまでに膨らんできているのではないだろうか。しかし、われわれは、実は理解できないものの中にある豊積さと繊細さこそが美術にとって最も重要なものであることを、今一度認識すべきである。肝心なものは目に見えないし、大切なことは誰も教えてはくれない。人間の生き方の教訓のようにも聞こえるこうしたことを、ある種の絵画を通してわれわれは実感するのである。
さて、今日ほど美術が広く社会に普及し、人々に受け入れられている時代は かつてなかったのではないか。たとえば、地方発信の芸術祭や現代美術館の盛況。バラエティ番組などに取り上げられる個性的なアーティストや奇抜なアート作品。そしてリノべーションスペースやオルタナティブスペースなど、美術館以外の展示空間が格段に増えたことを思う時、その昔、貸しギャラリーが若いアーティストたちの自由で実験的な作品発表の場として活況を呈していた頃と、すっかり様変わりした今の時代が見えてくる。
美術を取り巻く環境だけではない。現代アート自体も、かつての観念的で難解な前衛芸術はほとんど見られなくなったし、系譜図のように分類、図式化することのできた美術史の変遷は、今では個々に細分化されすぎた結果、霧散してしまった。また、参加型アート作品の隆盛が象徴するように、アートの中にイヴェント性やエンタテイメント性が持ち込まれ、作品はもはや独立した物 体という認識には当てはまらない状況も生まれてきた。様式も評価基準も西 洋中心主義も、それまでの美術の存立基盤自体が根底から覆ったのである。
こうした状況の今、では美術は何のためにあるのか。かつての「芸術のため の芸術」といったような敢然とした美術の存在理由を今の世の中に見いだすことはできるのか。そんなことを考えながら、小橋陽介の展示を見続けた時間が忘れられない。


安來正博、美術フォーラム21 vol.30“現代作家紹介”より/2015

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