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2014年「ノスタルジー&ファンタジー 現代美術の想像力とその源泉」展カタログ内より、国立国際美術館、安來正博著

色とりどりの色彩で覆われた画面の中で裸の男性が躍動している。空と大地、人と自然とが渾然一体となった無重力状態のような浮遊感が漂う。初めて見るのにどこか懐かしい、目新しさと親しみやすさを同時に感じる不思議な絵だ。このような既視感の出所はどこなのだろう。イメージなのか色使いなのか、あるいは絵具のマチエールや描画技法なのだろうか。
小橋陽介の絵は決して奇を衒ったものではない。彼自身はそういう見せ方を意図してこのような絵を描いているわけではない。それを裏付けるひとつの理由として、彼が長らくもっぱら自画像を描き続けてきたという事実がある。なぜなら、自画像を描くという行為は極めて内省的な側面を持つからである。外に向けて形象化していくのが創作という行為でありながら、自画像だけはひたすら自己言及という、ちょうど閉じた円環の中を走り続けるハツカネズミのように、外部と繋がる視線の介入を排除した自閉的行為の所産だからである。
とすれば、小橋はなぜそこまで絵画という存在に自身を委ねてしまうことができるのか。それは彼の絵画に対する信頼感といえるのかもしれない。カンバスは彼にとっては与件として無条件に存在し、それに対峙することは、ちょうど鏡の前に立つようなごく日常的な習慣となっているにちがいない。また、彼には画面である矩形の支持体に対する偏愛が感じられる。絵具によってその矩形を覆い尽くしていくことに無上の充足を感じている。
こうした、画家として具わった原初的な創作意欲こそが、見る者が彼の絵画にある懐かしさを覚える理由なのかもしれない。絵画自体のノスタルジーといえばいいのか、現代絵画が、ともすれば教条的な美術批評によって解析され、画家の方もそれに引きづられるように絵筆を動かしていくような、そういった計算は一切なく、描きたいものを描きたいように描き、ひたすら繰り返し描き、好きなように展示する。
近年、小橋はしばしば絵画を展示空間にインスタレーションとして配置し、見る者をその空間の中へと迷い込ませるような手法をとる。そこでは、絵画は壁面に行儀よく並べられるのではなく、宙吊りにされたり、壁にもたれさせたり、斜めに傾けたり、部屋の隅に目立たないように配置されたりする。一見、こうした試みは個々の絵画の存在を希薄にしているように見えなくもない。しかし、見る側に立つわれわれの視点が変化することで、個々の絵画を周囲の空間や他の作品との関係性の中から、より強固で効果的に見えるように仕立てていこうとする、作者の絵画への愛着を感じ取ることができる。今回の展示は、こうした小橋のインスタレーションがこれまでにないスケールで展開されている点で、彼の空間概念の全貌を理解する絶好の機会といえるだろう。
小橋は絵具を愛し、絵筆を愛し、支持体を愛しているなどというと、創作に対する過剰なセンチメンタリズムと受け取られるかもしれないが、本人はそういう感情すら意識してはいないだろう。それは、ある時期には自画像をあっさりと止めてしまい、ひたすら犬の絵を描き出すなど、躊躇うことなくテーマやスタイルを変えていくさまを見ていても、その無邪気ともとれる心境の移り変わりは、好奇心旺盛な作家の本性と理解できるからである。


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