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「理想の世界」

小橋陽介の艶やかな油彩画には常に作家自身の姿が描かれている。この作家が自画像に取り組み始めたのは2年ほど前からであり、 それ以前は 他人の肖像を中心に作品を制作していた。 しかし他者を描き続ける中で小橋は対象の個性や内面よりも、絵を描く行為自体の要素としての人物像に興味を持ち始めていく。 そのような経緯から、描かれる対象が他者である必然性は消え、最も身近な存在である自画像へと移行していったのだ。 小橋にとって人物像は画面を自由に構成するための要素であり、同時に心的、精神的状態を伝達するための手段、自己と他者、 人間と自然界の関係を象徴する方法として存在している。しかしそれは自己表出やナルシズムといった作家本人の感情や状態を示すものではない。そこにはルシアン・フロイトが描き出す身体と精神の生々しさや緊張感はなく、人間の身体を生命の記号として描き、それにまつわる世界の状態を絵画上で描き出そうとする作家の意思が見える。さらに特徴的なのは、この作家がさまざまな絵画手法を自由に組み合わせ表現していることだろう。小橋は時にゴーギャンのような荒々しい筆触と色彩を駆使し、またある時にはマティスのような色面や装飾性で画面を構成している。こうした技法の自在なサンプリングは、小橋が絵画において自由を得るための一つの方法だと言えるだろう。そして獲得された絵画上の自由によって、作品からは描くことの根本的な快楽が溢れ出し、それが観る者に得も言われぬ悦びを与えてくれるのだ。
また小橋の作品では、人物を取り囲むように風景や心象的な景色が広がっている。その風景はあたかも夢の中にいるような現実感のない非日常的なものであるが、そこには作家の持つ世界観が如実に示されている。その世界観とは、人間が動物や植物といった自然と相補的に存在している調和の取れた亀裂がない世界である。そのような理想としての世界を小橋は絵画というメディアによって超現実的に表現しようとしているのだ。さらに言えば、小橋の人物像はどこかヘンリー・ダーガーの作品群に登場するペニスを持った少女たちを連想させる。アウトサイダーの画家であるダーガーが、女性もペニスを持つと信じていたか否かは定かではないが、無垢なる者の象徴、あるいは正義の使者として両性具有的な少女を描いたことと、小橋が裸の自画像を通じて見せようとしている世界とが不思議と重なり合うのだ。古代の神々、例えば古代インドのミトラ=ヴァルナは、聖職者で男と昼を象徴するミトラと、戦士で女と夜を表すヴァルナの合体した両性具有神である。このように両性具有神は二元論的対立を一致させるもの、あるいは解消するものとして古代から語り継がれており、二元論の相補性を示すイメージとして多用されてきた。そしてダーガーと小橋という二人の作家に共通するのも、前述した人間と動物、男と女、善と悪といった二元論を超えた世界を表現している点にあると言えよう。小橋の絵画が目指しているものとは、まさしく対立する事象が互いに補い合い、融合するかのごとく存在する、両性具有的で美しい理想の世界なのだ。

窪田研二/2006「クリテリオム66小橋陽介」展テキスト


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